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MIAのツブヤキ

ワークショップの個人的な感想や、日頃の生活の中で、ジェンダー/セクシュアリティについて想うこと…といっても全てにつながっていると思うので、あまり限定せずに書いてます。

「隠れたカリキュラム」

たしか、「隠れたカリキュラム」というタイトルの、短いドキュメントを見たことがあります。

小学校で「男女別名簿」と「男女混合名簿」を使っている場合、どのように教師や生徒の意識が違っているのか、という内容のものでした。
その映像のなかでは、名簿が男女に分けられている小学校の女の子たちが徐々に発言をしなくなっていったり、体育の授業でバスケットボールをほとんど触らず、ただおしゃべりをしてすごしている姿が映っていました。
逆に、混合名簿の小学校では性別に関係なく積極的に授業に参加していました。
やらせか、と思ってしまうほど行動パターンが違っていて、びっくりしました。

男女で名簿を分けている学校でも先生たちが「平等」を意識して、「今日は女の子から出席を取ろうか」とか、がんばっているんだけど、少しづつ女の子とたちは自主的に男の子たちに(発言や順番などを)譲っていく習慣がついていきます。休憩時などの行動も、女の子同士/男の子同士と分かれていきます。混合名簿のほうはその逆。一緒に遊ぶのも、自習するのも性別は混ざっていました。

恐ろしいや…
知らないうちに、いつの間にか、というのが一番怖いよね~。

男女混合名簿を実施している小学校ではむしろ、教師たちの反省の声がありました。
男子生徒がモタモタしてるとつい「オトコだったらしっかりしろ!」といいたくなってしまう男性教師や、いつの間にか男性を優先させてしまうという女性教師。
大人たちもすでにその区別することを無自覚に学習してしまってるんだから、無理もない話ですが。

知らない間に「○○ちゃん」「○○くん」と分けていたり、
男の子が泣いていると、情けないと思ってしまったり、
女の子が乱暴だと、はしたないと思ってしまったり。
そしてそういう価値観を教師、という立場から知らずに伝えてしまっている。

本人は差別しているつもりはなくて、区別している、と多くの大人たちはいいます。でも、時によって、区別は差別の始まりだと思うのです。教育や仕事の現場で、その人の差別は関係ないハズなのに、それを区別する必要なんて、どこにあるのでしょう?

「中学校に進学して、オトコ・オンナって分ける意味がわからない。今まで一緒にやっていたのに。」と、取材されていた子どもたちは話していました。

同感です。
教師に限らず、大人は自分の中にしみこんでいるジェンダーを見てみることや、そのジェンダーが本当に必要かどうかを考えてみることをお勧め致します。

案外、自分が自由になれちゃうかもしれないよん♪

Post Date:2003.05.07 16:51

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