
ワークショップの個人的な感想や、日頃の生活の中で、ジェンダー/セクシュアリティについて想うこと…といっても全てにつながっていると思うので、あまり限定せずに書いてます。
やっぱり、書いたほうがいい
皆さま、お久しぶりでぇす。
ツブヤキがずっと更新できなかった言い訳、ではない(つもり)ですが…
別に、ネタ不足なワケでは全然ないし。
ジェンダーやセクシュアリティのことについてのコトに限らず、毎日「おっ、これは!」と思うネタはゴロゴロしてます。
でも、いざ書こうとすると躊躇する自分がいました。
例えば…
結婚制度について何か書こうとすると、
「こんなコト書いて、結婚している人たちが不愉快な想いをするかも。(その結果、ワタシが批判されるかも。)」
とか
自分の周りの男性がしている(していない)育児参加について書こうとすると、「それぞれに(性別役割)分業してるのかもしれないし、本人達がOKだったら、ワタシがどうのこうのいう資格ないし…(そして『私たちの勝手でしょ!』とかいわれるかも)」
とか
問題提起をしようとすると、「そこまでなんでも問題にしなくても…」という声が自分の中から聞こえてきたり。
違和感を感じている自分がいるのに、それを発言すると危険だ(世間の常識からはずれてしまうかもしれないから)、という声だったり、自分ばかり色々な問題に気がついてしまって、疲れ果てている自分を発見したり、こんなことやったってなんの役に立つのかしら、果たしてワタシは何かの役に立ちたくてやっているのかしらとか、考え込んでしまったりもする。
こうなると、もうなぁんにも言えなくなっちゃう。
そんなこんなで、あっという間に約半年?!
時の流れって速いわぁ~。
でも、書きたいのに、「周囲の反応がナントナク怖くて」書けないということは、ワタシに沢山のことを気付かせてくれた。
「常識」っていったって、誰が決めたわけでもないのに、それに明確に見えるものでもないのに、なんかとても力がありそうな感じがして、逆らうと「非常識」としてレッテルを貼られそうな危機感がある。レッテルを貼られると、なんとなく日常に不都合が起きそうな気もしてくる…
そんな迫力効果を「常識」がもっていることや、それでも、あえて「違うんじゃない?」と発言するということはとてつもなく勇気が必要なことだったりするんだよね、とか。
改めて「マジョリティ(多数派)」VS「マイノリティ(少数派)」の力関係や効果を感じたというか、特徴が見えた、というか。
これは貴重な体験でした。
この力関係や、その間で感じる緊張、恐怖、逆に安堵感などは、あらゆる事柄や問題を考えるときについてまわる、大切な要素だと思うのです。
…どんどん抽象的で解りづらくなってしまいましたね。
要は、以上のようなことを踏まえて、やっぱり日々感じる違和感はちゃんと発言しておいたほうがいいな、という結論に達した。
つまり、ふっきれたのかもしれないですね。
今回改めて気がついた力関係のこと、5月にひっぴぃとトークすることになりました。
詳細はニュースのページを見てくださいね。
Post Date:2004.04.21 23:56
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