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MIAのツブヤキ

ワークショップの個人的な感想や、日頃の生活の中で、ジェンダー/セクシュアリティについて想うこと…といっても全てにつながっていると思うので、あまり限定せずに書いてます。

【2年ぶりの更新】決め付けに対する違和感を自己成長に使ってみる

みなさま。お久しぶり。

2年ぶりにこちらのブログを更新しますが、誰か読んでくれるんだろうか(笑)。

とにかく、やはりセクシュアリティ系の話についてはここにためていこうと思っています。

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テレビとかではやっていますが、男女の恋愛問題について、とか、恋愛コミュニケーションについてなどということについて話をする場面。久しぶりに体験してます。っていうか、実際にここまでその話にフォーカスをして話をする場所に身をおくこと自体、初体験なんではないだろうか。

ワタシ、個人的には「男女」と性別二元論が前提になったような発言があるくらいで「ぴくぴくぴくー!」っとくるのですが(苦笑)、それはまぁ極端として。

「男はこうだから、こういう反応がいい」

「女はこうだから、こういうやりかたがいい」

「生物学的に」

「自然の本能」

「型にはまらない場合は、なんらかしらの心理的な問題がある。」

もう、そういう対応をするセラピストと、それを興味深く聞いている人々。

フェミニズムと社会学を学び、多様なセクシュアリティの人権活動と、アンチ・ヘテロセクシズムなワタシにとって、根本的な概念と定義、というか議論のスタートポイントが違うんだなぁと思う。

「外国人」との違いとかがあるとかないとか。

「こういう女性は、こういう男性を求める」とか。

この、方程式的な、恋愛マニュアルこそが。決めツケを増幅している気がしてならない。そして決め付けられて苦しんでいる(自分をふくめ)、オリジナリティあふれた存在たちにとっては、こういう話って全然、役に立たない。

それを基盤に構築していく人間関係のなかに、その当人の軸はどこにあるんだろう?と思ってしまう。

大体、こういう話が好きなのは、…

オォット、ワタシモアブナクキメツケルトコロダッタ…!!!(爆)!

こういう話に違和感のない人に対しての批判がしたいわけではないのです。

誤解のないようにしたいのですが。

ワタシはここで、自分の感じた違和感と、でもそこから気づいたことを語りたい!

(他の人のことはどうでもよかったりする。)

ワタシがどうしてもここでブログを書くくらいエネルギーが動いたのは、こういう「定説」が、あらゆる「違う」と感じる人たちを不安にさせて、「自分がおかしいんじゃないか」とゆるがせるメッセージに大いになりうるということ。

「あなたはあなたのままでいい。」といい続けているワタシにとっては、ようは余計なお世話、なんですね。

自分のとても偏った部分は、こういう定説とそれを広めている人たちは厄介な人たちで、邪魔な人たち。そう。ヘテロセクシズムを敵対視していたころの自分の気持ちに一気に戻ります。

2年ぶりのワタシのブログは、これまでみたく怒っているだけでなくて、疑問に思う気持ちだけでもなくて、もう一歩、深く突っ込んでプロセスしていきたい。ちょっとは成長したもん(笑)。

少なくとも、そういう人たちを理解したいと思う。

だから、「はぁ?!」と思いながらも聞き続けてみた。

この会話に混ざることになったご縁には、きっとなにか大事なものがあるんだろうと。

彼らは、なにゆえ、この会話に興味を持つのだろうか。

想像の世界だけど、

多分、それは知りたいんだと思う。

どうしたらいいか、わからないんだと思う。

ただ単に、楽しいだけなのかもしれない。

本当の答えは、わからないし、ここのポイントを理解することが大事なんじゃない。大事なのは、自分がなぜ、こういう会話にムキムキするのか、を理解することです。ハイ。

あぁ、ワタシは、沢山、メインストリーム(多数派)からはずれてきていたから、自分の基準を自分でみつけて、考えていかなくてはいけなかったんだ。こういう書き方をするととても被害者的なので、書き直してみると、

自分の基準を見つける機会が沢山あったんだ。だから、そういう定説は必要ないんだ。

多分、話を聞きながら、ムカムカしているときのワタシは、こういう一般論に当てはまらない現実を生きているために「仲間に入れなかった自分」にアイデンティファイしている。そして、相手のことをもっと知ろうとしたときに自分の持っている特権に気づき、そこからその話を聞くと、気持ちが全然振り回されない。

なるほど。

ムカムカしているときは、その場の「講師」の役割に特権と影響力を感じ、自分にも影響力があるかのように感じていた。

今、気づいてからあの会話を振り返ると、自分がその「講師」とは別の特権と影響力(その場ではないにせよ)を発見し、その講師役の人がワタシにとって何の影響も与えない(刺激はされたけど)ということがわかり、すっと気持ちが楽になる。

そして、自分の影響力をどこで発揮しようかと、考える(笑)。

「あなたは、あなたのままでいいのだ。」と。

「一般論は、自分をみつけるためのあくまでも一意見なんだ」と。

「参考にするのであれば、あらゆる角度の論点を検証して、自分で最終的には決めなさいよ。」と。

先日行った、ダライ・ラマ法王講演会の話を思い出す。

長いけど、一部引用 ↓

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―多角的視野により現実把握が可能となり、それが平穏なる心をもたらす―

この世の中に存在している全てのものは、相対的に存在しています。

例えば、ご自分の手の3本の指について考えてみてください。

薬指は中指に比べると短いですが、小指に比べたら長い指となります。

この3本の指の長い、短いという判断は、それぞれの指を相対的に見たときに初めて判断できるわけです。

これと全く同じように、私たちは全てのものの良し悪しを普段から判断しているわけですが、それは全て他のものと比較することで、このものは良い、このものは悪いと捉えているわけです。

そこで、有るがままの現実を私たちが知るためには、物事をあらゆる角度から見るという視点と態度が私たちに求められてくるわけです。

一つの角度から見ただけでは、そのものの有りのまま姿は見えてきません。

そして3つの方角から見ても、4つの方角からみてもそれは充分ではなく、上下左右すべての角度からそのものを見渡すことをして初めて、私たちはそのものの有るべき姿、実際の姿というものを現実的に捉えていくことができるのです。

ですから、ポジティブなものやネガティブなもの、つまり物事の良し悪しを判断するときにも、そのものの一つの側面からだけで判断するのではなく、より広い視野で対象の有るべき姿というものを見て初めて、私たちはその対象の本来的な現実の有りようを正しく捉えることができるわけです。

つまり狭い視野でものを見ている時には間違った問題解決へのアプローチしか出来ませんが、現実的なアプローチを取るということによって、私たちは問題解決に必要とされている最も効果的な手段を得ることが出来るようになるのです。

チベットNOW@ルンタさんより引用

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あぁ、でもどこかで定説が「皆多様、違って当然。」にならないかしらね。

どこかの北欧の国みたく。

(そこの国では、定説はそうだけど、実態は違うよ、と噂を聞いたことがある。

国は忘れました。どこだったろう?)

【編集後記、っていうか久しぶりに書いた感想】

セクシュアリティについては、それだけをくくること事態に窮屈さを感じてしばらくネタもニーズもわからなくなっていました。

だからこそ、他のブログを書いていたりしたのだけど…

育児系も同じくhttp://www.ikuji-ikuji.net

最近はコンフリクトファシリテーションという、葛藤を話し合いと相互理解と自己成長によって解決していこうという試みを仕事にしているhttp://www.shantidaya.com のと、個人カウンセリングやヒーリングセッションをやっているのでなんだか全部がつながっているような感じでした。

でも、やっぱりあえて、セクシュアリティ、ジェンダーはちゃんと箱をわけて語ったほうがいいという気がしてきている今日この頃です。

一度、全部をつなげてみたからこそ、でてきた次の展開です。

というわけで、今後もこちらのブログもまたよろしくお願いします。

ニーズがあれば、ジェンダー系のワークショップも開催します。

今度は、以前よりも断然にファシリテーションスキルをつけたのでもっとディープに、もっとホットにワークしていけることでしょう。

Post Date:2008.11.11 22:39

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